B’z盗作Q&A TOP

Q.あれは彼ら流の「遊び」なのではないですか?

A.「遊ぶ余裕」のある楽曲制作だったとは思えません。

 「盗作とは何か」にあるように、時として「芸術的な遊び」ということもあるでしょう。しかし、遊ぶのであれば、精神的余裕がないと無理だと思います。

 ためしにここ(B'z WEB-GYM「データ編 History of B'z 1988〜1990」をみればよくおわかりだと思いますが、デビュー当時の二人はかなりのハードスケジュールをこなしています。試みに抜き出してみると、

はリリース、はライブ
1988 
9.211stシングル「だからその手を離して」、1stアルバム「B'z」同時リリースでメジャーデビュー
9.22〜10.27シングル、アルバムの全国キャンペーン
9.24T-BOLANライブ 渋谷LIVE INNに稲葉氏ゲスト参加
12.9〜1989.8.18TM Network Tour '88-'89 "CAROL〜A Day in a GIRL'S LIFE 1991"に松本氏サポート参加
1989 
3.1〜8ヤマハイベント(松本モデル発表&B'zミニライブ)--3.1 大阪/3.7 東京/3.8 名古屋
3.21コラボレーションアルバム「PLAYERS POLE POSITION vol.1」リリース
5.15〜6.23シングルとアルバムの全国キャンペーン
5.212ndシングル「君の中で踊りたい」、 2ndアルバム「OFF THE LOCK」リリース
6.1〜5LIVE-GYM#00"OFF THE LOCK"ツアー (東名阪の3ヶ所3公演)
6.6〜ミニアルバムのレコーディング
6.8、9松本氏はTMのリハーサル、稲葉氏はライブVTR編集
6.13〜10.20キャンペーン、ビデオコンサートで全国キャンペーンツアー
6.21コラボレーションアルバム「PLAYERS POLE POSITION vol.2」リリース
8.25、26、29、30TM Network "CAROL TOUR CAMP FINAL CAMP FANKS!! '89"に松本氏サポート参加
10.2〜'90.1.103枚目のアルバムのレコーディング。
10.211stミニアルバム「BAD COMMUNICATION」リリース
10.14〜28"BAD CLUB-GYM" (東名阪の3ヶ所3公演)
10.29、11.4B'z CAMPUS GYM(全2公演)
11.21コラボレーションアルバム「PLAYERS POLE POSITION vol.3 "DANCE TO THE CRISTMAS CAROL"」リリース
1990 
2.213rdシングル「LADY-GO-ROUND」、3rdアルバム 「BREAK THROUGH」リリース

 1988年9月21日にファーストアルバムをリリースしてキャンペーンに回ったあと、当時TM Networkのサポートメンバーだった松本は、1988年末すぐにリハーサルに入り、12月から翌1989年8月までライブに同行しています。間をぬってB’zのライブ、そしてファーストアルバムからわずか8ヶ月、TM Networkのサポートメンバーをこなしながら1989年5月には今度はセカンドアルバムの発売となっています。
 続いてTM Networkのコンサートの合間に自身のコンサートやミニアルバムの制作、発売、また3枚目のアルバムと、前作から今度は9ヶ月。わずか1年半の間に3枚のアルバム、2枚のシングル、1枚のミニアルバムにコンサートと、当時本人も「自転車操業だった」と語るように、追われるようにして楽曲制作にとりかかっていたのが目に見えるようです。
 ここに一体どんな「遊ぶ」余裕があったのでしょうか。
 どう見たって時間がないから拝借したようにしか見えません。
 さらにこの後、「BAD COMMUNICATION」が、当時としては売れたミュージシャンの出演するステイタス番組であった「夜のヒット・スタジオ」に出るほどにブレイクしたため、テレビ出演も増え、1990年の2月に3rdアルバムを発表してからは、

3月16日〜6月4日 B'z LIVE-GYM"BREAK THROUGH"ツアー(全21ヶ所22公演)
5月25日 4thシングル「BE THERE」リリース
6月13日 5thシングル「太陽のKomachi Angel」
6月21日 2ndミニアルバム「WICKED BEAT」リリース
10月3日 6thシングル「Easy come, Easy go!」リリース
10月4日〜2月10日 B'zLIVE-GYM '90-'91"RISKY"ツアー(全44ヶ所49公演)
10月24日 7thシングル「愛しい人よ Good Night...」リリース
11月7日 4thアルバム「RISKY」リリース

と、一年のうちに、71公演、5枚のシングル、1枚のミニアルバム、1枚のオリジナルアルバム、加えて雑誌のインタビュー、ラジオ・テレビ出演と、おそらく寝る間もなかったであろうことが想像できるスケジュールの中、一体どこに「遊ぶ」余裕があったのか、甚だ疑わしい。
 しかもシングル曲5枚のうち4枚は盗作疑惑があり、いかにも時間がないのでおいしいところからとってきたというイメージ。
 ましてCDなどというのは、曲ができてからCDにするのではなく、よほどの大物でないと締め切りがあって曲を書く。
 この状態で、「遊び」を主張するのはかなり厳しいし、また、時間に余裕ができて、前年一年をほぼ丸々ライブに、そして半年以上丸々楽曲制作に費やした「LOOSE」などには盗作があまり見られないのも、どこかから拝借してくる必要がなくなったからではないでしょうか。
 「芸術的遊び」というのは、そのスケジュールから精神的な余裕がなかったであろうことから推して、否定されてしまうのです。

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